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幕張本郷にある小児科 岩田こどもクリニックはこどもたちの笑顔が大好きです。

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〒262-0033 千葉市花見川区幕張本郷2-36-21 ワンダーランド1A

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子育て待合室2012年

2012年01月07日
ありがとう、の一言です。
これは、2012年1月に岩田こどもクリニックの待合室内に掲示されたエッセイです。

昨年は、東日本大震災、大津波、原発事故と、日本中がこれまで経験したことがないほどの悲しみの色一色に染まって、元気をなくしてしまった一年でした。
そんな中でも、誰もが被災地の方々のご苦労に共感し、何か自分にできることはないだろうか、と模索した日々。慣れない節電も、このくらいは我慢しなくては、とむしろ勇気を奮い立たせる起爆剤になっていた一面もありました。大災害に立ち向かう日本人の勇気、心優しさ、誠実さ、勤勉さが世界中から賞賛されて、皮肉にも、私たち自身が日本人としての誇りを取り戻す好機となりました。
そして、被災しなかった多くの人たちが、おそらく痛切に感じたこと。それは、“ありきたりの日常がそこにあることのいとおしさ”ではなかったでしょうか。
お正月にいただいた年賀状の中に、こんなシンプルな一文が添えられた、大先輩からの一枚がありました。 
「ありがとう、の一言です」・・・まさに、その通りだと思います。
こうして、おだやかに新年を迎えられたことに、ありがとう。
年の初めに、また家族が一堂に集えたことに、ありがとう。
 これからまた、相も変わらず続いていく毎日のなりわい。
家族と共にいただく、日々の食材を手に入れられること。
暖かい眠りにつける寝場所があること。
雨風を防ぎ、日々、同じような暮らしをおだやかに続けていくための住まいがあること。
 誰かの役に立っていると思える、自分なりの生き方ができること。
あしたこそ、と夢を抱いて、今日一日を過ごせること。
自分の気持ちや考えを正直に伝えられる人たちが、近くにいること。
それらのすべてに、ありがとう。

あってあたりまえ、と空気のように感じていたこれらのことが、一瞬にして奪い取られ、消滅してしまうことがある、という現実を私たちはすぐ身近に見てしまったのです。
これまでだって、いつだって、地球上のどこかで戦争は絶えず起きていたけれど、今にして思えば、それはまったく遠い世界の出来事でした。それが、この国、自分たちのこの日本で、もしかすると戦争以上の破壊力により、瞬く間にすべてを失った多くの人々がいるということ。被災したのは、もしかすると自分たちだったかもしれないと、急に身近に痛みを感じてしまいました。
よく考えればあまりに身勝手な感じ方ですが、これが真実です。遠くの火事は見物気分で眺めていても、火の粉が降りかかりそうになると、急に不安になってあわてふためいてしまう。これぞ、愚かおろかな人間の性さがなのでしょう。
だからこそ、今、こうして生きていることに感謝しましょう。
明日は何があるかわからない。
今、何かができていること、何かと関われていることに心から感謝して、一日一日を楽しく有意義に過ごしていきたいものだと思います。

2012年02月08日
寒波にはお風呂が一番
これは、2012年2月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

今年の冬は10年に一度というほどの大寒波に見舞われて、雪国では除雪した雪の持っていきどころにも困ってしまうような事態だそうです。ここ千葉市では大雪にはならなかったものの、連日、最高気温が摂氏10度に満たない寒さが続きました。
こんな寒さでは、身体の小さいこどもたちは、たちまち冷えてしまいます。手足を触ってみると、まるで保冷剤のように芯まで冷え切っていて、こちらの手にも、そのゾッとするほどの冷たさが伝わってきます。こういう時は、鼻水が止まらなくなってしまうことがよくあります。きっと、「この寒さは危険だ!」とカラダが言っているのですね。
 冷えて乾燥した空気の中にいると鼻やノドなどの気道も乾いてしまうので、ホコリやチリ、そしてウィルスなどの病原体が体内に簡単に侵入してきます。そうなっては大変、と身体はすぐに反応し、自己防衛策をとるのでしょう。鼻水が増えることで、そうした有害な異物を気道の奥深くまで侵入させないようなメカニズムが働きます。いつも鼻水を垂らしている子を近くで見ていると、なんだか気になるものではありますが、これは身体を健康に保つためには大切な機能だといえます。
 今ほど暖房の行き届かなかった時代には、寒い戸外でもこどもたちは皆、鼻水を垂らしながら元気に遊んでいたものでした。身体を動かして遊んでいるうちに、血行が良くなり体温も上昇してきて、汗まで出てくればもう大丈夫。不思議なことに、鼻水は止まってきます。カラダも「ああよかった、寒さの危険はなくなった!」と思っているのでしょう。
 反対に、寒いところでじっとして動かずにいれば、いつまでたっても鼻水は止まりません。つまり、自分ではまだ活発に動くことのできない乳児を長時間、寒いところに居させては、身体に負担をかけることになります。手や足が冷たければ、温かなタオルで包みこむなどして時間をかけてゆっくり温めてあげましょう。このとき熱めのタオルでは低温やけどを起こす危険があるので注意が必要です。
 お風呂にゆっくり入ることも効果的です。ただ、こどもは湯温が高いのは苦手で、大人には少しぬるめくらいのお湯でないと長くは入っていられず、時間をかけて芯まで温まることができません。お風呂から出てすぐ、くしゃみをしたり鼻水を垂らしたりしているのは、冷えた身体がまだ温まっていない証拠です。お風呂上がりにはホカホカと湯気が立つくらいに、寒さと一日中戦った小さな身体をしっかりと温め直してあげましょう。
 日本のお風呂には優れたところが多いと思います。家族と一日の終わりにいろいろな話をするコミュニケーションの場でもありますし、寒さで疲れた身体をいたわって、ゆっくり眠れるようにリセットする場でもあります。
 昔、息子たちが小さかった頃、わが家の湯舟からは毎日、「ひと~つ、ふた~つ、・・・」と初めは10まで、そしてだんだんに100まで、と数を数える声が響いていました。小さい子がお湯につかって顔から汗をしたたらせながら、大きな声で一生懸命に数を数え上げます。熱くて早く出たくても、目標の数まで数えないと出られないからがんばろう、という気持ちで一層大きな声を張り上げる。そして「オマケのオマケの汽車ぽっぽ、ぽーっと鳴ったら出ましょ」で湯舟から出る時のプチ達成感。
 毎日のお風呂は、戸外で運動するのと同じくらいに、体温を上げ血行を良くし、発汗をうながしてくれます。寒さへのすぐれた対処法にもなるのです。
 さあ、オモチャや本を持って入ってもいいですね。ゆっくりとお風呂で温まりましょう。

2012年03月09日
父の手帳から
これは、2012年3月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

先日、家の片づけをしていたら、父が生前に愛用していたバッグが出てきました。病気があり通院もしていたので、病院の診察券や筆記用具などともに、父の手帳もありました。スケジュールを書き込む程度の小さな赤い手帳です。その裏表紙の内側に、父の手書きでこんな書き込みがあるのを見つけました。
 手帳は2001年のもの。その頃、84歳の父は健康状態がすぐれず、それでもアルツハイマー病で介護の必要な母を施設に見舞ったりして、とても不安な気持ちが強かったのかもしれません。人から聞いた言葉なのか、書物などで目にした言葉なのか、今はもう、どのようにして父がこの言葉に出会ったのかを知るすべはありません。でもきっと、これらの言葉をいつも持ち歩く手帳に書き写し、たびたび思い返すことによって、父は自分の気持ちを整えながら、余生を過ごそうとしていたのでしょう。
 実際のところ、このあと、翌年の秋には再入院することになりますが、もはや衰弱した肉体を立て直すことはできず、2003年5月に他界します。
 最晩年になってもなお、前向きに、より美しい姿勢で人生を生きぬこうとしていた父をとても誇りに思います。あなたの娘でよかったと、心から思っています。 
「人生の道  幸福になる人」
心身の健康を常に心掛ける人
注意深く決断の早い人
何事も善意に解釈できる人
素直に反省し改められる人
人も自分も尊敬できる人
礼儀と時間をしっかり守る人
義務と権利をはっきりさせる人
仕事が楽しくて一日送れる人
早寝早起きのできる人
生き甲斐を求めて精進する人
どんな苦難にも耐えられる人
信念を持ち辛抱強い人
恥を知り嘘をつかない人
人に情けは厚くうらみはもたぬ人
両親を大事にし恩に報いる人
質素でも金を活かして使う人

 こうしてみると親というものは、この世から去って10年近く経てもなお、有形無形に残したものを通じて、子に教育をし続けるものなのだと、つくづく思い知らされます。
 人の子の親になることは、それくらい、責任の重い一大事なのですね。


2012年04月08日
すてきな贈り物
これは、2012年4月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

長いこと嘱託医を務めている保育所の卒業生たちから、すてきな贈り物が届きました。年度末に、保育所の先生が所用でクリニックにいらしたときに手渡してくださったのです。
 クルクルと細く巻かれたその紙には、元気の出るオレンジ色のきれいな蝶結びのリボンがかかっています。
何かしら?
と、その場で開いてみると・・・・・。
 A3判の大きな白い紙いっぱいに、こどもたちの顔、顔、顔。そしてそれぞれの横には、覚えたてかなと思われるような、力いっぱいのひらがなで名前が書いてあります。
 3月に保育所を卒業して巣立っていった年長組だったこどもたちが描いたものです。数えてみると全部で34人のこどもたちと2人の先生。卒業制作だったのでしょう。
 どの顔も、明るく自信に満ちた顔つきです。描線のなんとしっかりとしたタッチ。みんなちゃんと自分の名前が書けるようになって・・・。
 一人ひとりが一生懸命に、丁寧に書き上げた自画像?を見ているうちに、なんだか目頭がじわっとしてしまいました。
0歳で入所した子は6歳を迎えるまでずっと6年間、途中入所の子は、それぞれに応じた年数、日中のほとんどの時間を保育所で過ごしたことになります。生まれてまもなくから、保育所の先生がたに見守られながら、多くのお友だちとともに、健気にも精一杯生活してきたこの子たちが、とてもいとおしく思えてなりませんでした。
 保育所嘱託医として、入所の折に1回、そして毎年春秋2回の定期健診と、多い子では13回も健診で顔を合わせてきたのです。
乳児期はまだ人見知りもあって、診察の順番が来る前からワーワーと泣き声の大合唱でした。それもお昼寝から起きたばかりでは無理もありません。自分の番が済むと今度は、お友だちの診察場面をぼーっとしながらもじーっと遠巻きに見ていたこどもたち。こっちを見ているようでも、逆にしっかり観察されていた、だなんて思ってもなかっただろうな・・・。
3歳以上児クラスになると、一人ひとり、声に出して挨拶をして、自分の名前を言って、という儀式めいたことが、なかなかできなくて、とびきり恥ずかしがっていた、あ・の・子。
 さすがに年長児クラスになると、みんな本当に立派な挨拶ができるようになりました。そんな成長ぶりが、時々出かけていくからこそ、よりはっきりと見えたのかもしれません。
 早いもので、この春、彼らは一年生。
 新しい生活もきっと、健気に一生懸命に取り組んでいってくれるものと信じています。
 いま、額に入れて診察室の壁に飾ってある幕張第2保育所の卒業生たち34人の顔。みんなに見守られて、先生もしっかり小児科医の仕事をがんばるからね。
みんなに負けないように、くじけないように、きっとがんばっていくからね。
すてきな贈り物をありがとう。
2012年05月07日
たくさん可愛がってこそ
これは、2012年5月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

少し前になりますが、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「戦火の馬」を観てきました。
 イギリスの農村に両親とともに暮らす主人公の少年はあるとき、偶然にその誕生場面に遭遇した一頭の美しい馬に魅せられてしまいます。やがて不思議な縁のめぐりあわせを経て、その馬は貧しい少年の家で飼われることになります。 
 少年はその馬をジョーイと名付け、まるで家族のように可愛がり、愛情をこめてさまざまなことを教えて自ら調教もし、育てます。少年の家庭がきわめて厳しい経済的状況に陥った時には、畑地を広げるために、ジョーイとともに傷だらけになりながらも荒れ野を耕し、精一杯の踏ん張りをみせます。
 けれども少年が馬と一緒に過ごした幸せな時間は、長くは続きません。第一次世界大戦が始まり、とうとう少年は馬を手放さなければならない時がやってきます。もう再び会うことができないのでは、とも思われる別れです。
 その後、ジョーイは軍馬として味方、敵、そして両親をなくした少女と、さまざまな人の手を渡り、故郷を遠く離れていきます。にもかかわらず、そのときどきで、ジョーイは人々から可愛がられ大切にされ、ジョーイもまたその愛情に応えるように健気に生きていきます。
 やがて戦火は激しくなり、軍馬としての重労働を課せられて、ジョーイは自身の命さえ危ぶまれるような極限状態に置かれます。仲間の馬も死んでしまいます。死と隣り合わせの危機的な状況。
 とうとうジョーイは、想像を絶するほどの砲弾が飛び交う戦火の中をくぐりぬけ、力を振り絞って、ひたすら前を見て走り続けます。困難から逃れてただただ生きていくために。
 この馬には、並大抵ではない生きる気力と、故郷に帰りたいという強い願望があったのでしょう。満身創痍になってもあきらめず、ただひたすら生きようとするその姿を目にした人々は、彼を「奇跡の馬」と呼び、敵味方なく誰もが彼を救い出そうとし、そして生きる希望を託すようになります。
 なぜ、ジョーイはそれほどまでに強い心を持ち続けられたのでしょう。
 それは、生まれたときからずっと、大切に思い続けていてくれる少年との出会い、そして共に過ごしたかけがえのない時間があったからではないかと思います。ずっと大切に思っていてもらえたからこそ、そして遠く離れていようとも、自分のことを大切に思ってくれていると信じることができるからこそ、まったく初めての恐怖の場面にも怖気づくことなく、強い心で未来を信じて、平静な自分を保ち続けることができたのでしょう。それが、この馬に良質なオーラをまとわせることになり、多くの人々から大切に扱われ、逆に人々に勇気を与える存在にすらなったのではないかと思います。
 これはあくまでも映画の中の馬の話です。でも、人間も馬も気持ちは同じなのではないでしょうか。
 小さい時から身近の人にたくさん可愛がられて育つと、他の人からもまた、可愛がられるようになるものなのですね。たくさん可愛がられれば可愛がられるだけ、その子がもともと持っていた多くの資質が開花していくのでしょう。逆に言えば、どんなに美しい花の種でも、ただ持っているだけで何もしなければ、花が開くことはないのかもしれません。
ジョーイは少年の愛情により、もともと持っていた美しい花を咲かせたのです。心の中にかけがえのない宝物を長い時間をかけて育ててもらっていたのですね。いかなる困難に直面しても、その心の宝物がオールマイティの切り札となって、信じられないような大きな力を生み出したのだと思います。
 たくさん可愛がること。何よりも大切な子育ての鍵だと考えます。 
2012年06月07日
6歳児は自立へのレッスンを
これは、2012年6月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

春は定期健診のシーズン。5月には保育所と小学校に、交互に2回ずつ出かけてきました。
  保育所の年長児たちは、体つきが大きくなって行動もテキパキとしていて、本当に頼もしい感じがします。0歳から6歳の乳幼児集団である保育所の、さすが最年長というにふさわしい存在感です。
 ところが、場所が変わって小学校に行ってみると・・・。
 こちらは7歳前から12歳までの集団なので、1年生と6年生とでは、保育所集団での年齢差とまったく同じだけの年齢の開きがあります。1年生は小学校という集団の中では、それまで最年長だったはずの保育所時代から一転して、保育所の0歳児と同じ立ち位置になってしまうわけです。
 このことのもたらす心理的影響は想像以上に大きいものがあります。新入りの1年生には、上級生たちがお世話係として身の回りのさまざまな面倒を見てくれるようですが、これがまた、慣れない場所での安心感を与えるとともに、依存心をも植付けることになりかねません。それまで自分ひとりでできていたようなことも、お世話してもらっていると甘えが出てきてしまうのですね。誰かにやってもらって当たりまえ、というところまで逆行してしまう1年生も多いのだそうです。
 校長室でそんなお話を校長先生から聞いたあと、会場の図画工作室に移動して、いよいよ健診が始まります。
 1年生たち。順番が近付いたら体操服を脱いで、ちゃんとたたんだ服を自分で持って、校医の前まで進み出ることになっています。でも、あらら・・・。
 名前を呼ばれてもお返事ありません。服も脱いでいません。たまらずに、そばに付き添う担任の先生があわてて脱がせてあげていますが、新1年生はされるがまま。自分でやろうという気配が感じられないのです。脱がせてもらった服はその場に置いたままでこちらに来ようとしています。注意されて自分の服を手に持って、初めて状況が見えてくる、という事態。
皆が皆、そうだというわけではありませんが、かなり多くの1年生にこうした場面が見られました。これでは教室での毎日が思いやられます。世に言う「小1プロブレム」? 幼稚園や保育所からさらに大きな集団に入って戸惑っている、これがこどもたちのナマの姿なのでしょう。
 でも、あせることはありません。まだたったの6歳なのですから。まだ十分に間に合います。
 では、どうすればいいのでしょう?
解決するには、学校に任せっぱなしにせずに、まずは家庭でのこどもとの接し方を改めましょう。
 たとえば、こどもに家のお手伝いをさせましょう。本人が続けていける程度の小さなことでいいのですが、その仕事はしっかりとその子に任せることが重要です。任せた以上は責任をもって仕事をしてくれないと困る、という雰囲気を作りましょう。そして、きちんと役割を果たすごとに、その都度、親も子にきちんと「ありがとう」と言ってあげてください。そうして一人前に扱われることで、こどもは自分が家庭内で役に立つ人間であることを学び、生活者としての自信をつけていきます。
 お手伝いが習慣的に根付くまでには、相当の時間と親自身の忍耐が必要です。でもそれこそがまさに、家庭の養育力なのです。親はいつでも試されるものです。わが子をなんとかしなくては、と思わない親はいないでしょう。子に努力を求めることは同時に、親自身にも相当な努力を要します。
 鉄は熱いうちに打て、と言います。幼児期におけるしつけや生活習慣は、長い人生の先々で、信じがたいほどの大きな影響を及ぼすことになる、とても大切なことです。

2012年07月07日
大事をとるということ
これは、2012年夏に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

「大事をとる」
この言葉の意味を調べてみると、
・・・軽々しく物事をしない。用心し、自重する。
(例として)「大事をとって仕事を休む」など。無理をしないで用心する。慎重に行動する。・・・
とあります。
 
病気は不意にやってきて勝手に症状をばらまいていきます。たいていの場合、予定などはお構いなしです。
 とくに小さいこどもたちは大人と違って、病気に対する抵抗力=免疫力が乏しいので、大人と同じように行動していても病気に罹りやすいものです。テーマパークなど大勢の人が集まるような場所に行こうものなら、あっという間に病原体のウィルスに取りつかれて、おみやげに持って帰る羽目になることも多いでしょう。数年前に麻しんや新型インフルエンザが全国的に流行した時には、テーマパークで感染したと思われるような症例が、その地区での流行の発端になることもあったようです。
 健康面でまったく問題がない時でもこうしたことは起こるのですが、ふだんよりも体調が悪かったり、行事続きで疲れていたりする時には、免疫力が落ちているために感染症に罹りやすくなっていることが多いので注意が必要です。そういう場合はこどもが出かけたがっていたとしても、大事をとって、まずからだを休めることが先決です。こんなとき、どうしても行くんだ、と言って駄々をこねる子をじっくりと説得するのも親の大切な仕事でしょう。
毎日の幼稚園や保育所への登園も同じことが言えます。
微熱があったり、軽い風邪症状があったり、前夜に嘔吐していたりしても、朝になると元気そうに見えたという理由で登園させられるこどもたちをよく見かけます。案の定、体調がだんだん悪くなりクリニックを受診したときによく耳にするのが、この子が行きたいと言うので行かせました、という親のセリフ。親が子に責任転嫁しているようで、聞いていてちょっと情けなくなってしまいます。
こどもは自分の欲するものをあくまでも主張してくるものです。そこには状況を見て冷静に判断するという力は働きません。かといって、子の欲しがるものをすべて与えていいわけでもありません。子に振り回されることなく、親は大人の判断力、決断力を持っていてほしいと思います。
 前夜まで体調が悪ければ、今日もどうなるかは誰にもわかりません。仮にもっと具合が悪くなったとしても、こどもはいつものように大勢のお友だちと行動をともにしなければなりません。身体の自由がきかなくなったそんなときの、子のつらい気持ちを思いやってみてください。
こどもの具合があまり良くない朝は、たとえ行きたがってぐずったとしても、親はそこで思いとどまらせなければなりません。今日一日、親の手元に置いてみて、子の状態をよく観察してみましょう。大事をとってお休みさせる、という決断を親がしなければなりません。
このことは、予防接種を受けさせるかどうか、あるいはお稽古ごとをお休みさせるかどうか、と迷う時も、みな同じです。不安材料があるときには、無理をせずに慎重に行動する、大事をとるのです。 
 大事をとるということは、こどもへの思いやりにもなることです。そしてそのような状況を見極めながら慎重に判断して行動する親の姿はきっと、子へのなによりの教育にもなることでしょう。

2012年09月04日
素敵な出会いたち
これは、2012年9月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

クリニックでのお昼休みにはたいてい、家から持ってきた朝刊を読むことにしています。その日も食事を済ませた後で、朝日新聞をぱらぱらとめくっていました。
「ひととき」という女性読者だけが投稿できる小さな囲みの長寿欄があります。毎回必ず目を通すというわけではないのですが、その日のタイトルを見ると「笑顔で褒(ほ)めよう男の子」とあります。子育て中の主婦の方からの投稿でした。へえ~、いつもお母さんたちにお話ししていることと同じじゃないの、と思いながら読み始めました。
 内容は、二人の息子さんを連れて出かけた公園で、転んでしまった3歳のお兄ちゃんにぐずられて、何を言っても泣いてばかりで途方にくれていたところ、通りかかったおばあさんからもらった一言に、気持ちがほぐされたというお話。投稿者と同じように二人の男の子を育てたという、その人生の先輩からは「男の子はおだてて褒(ほ)めてあげれば何とか育つものよ」とアドバイスも受けます。
「子どもにはママの笑顔が一番よ」という助言にも、筆者の「丁寧に重ねられた年輪のほんの一巻を分けていただいた気がした」という感謝の気持ちの表現が素敵でした。
 何気ない日常の中でのワンシーンに、なんという素敵な出会いがあるのでしょう。読み終えたあと、心がほっと温かくなって自然とにっこりしてしまうような、お昼休みの「ひととき」でした。
 そしてその日の午後の診療。いつものように乳児健診・予防接種から始まります。
 3歳児健診に来られたかかりつけの男の子。
健診では型どおりの身体的診察が終わったら、できるだけ、その子ならではのコメントを伝えることにしています。傍(かたわ)らには、そのあと続けて健診を受ける満11か月の弟くんが控えています。小さなお兄ちゃんにしてみれば、いつも弟にママを取られてばかりと感じているはず。自分だってまだ赤ちゃん気分でいたいのだろうなあ・・・・。うまく甘えさせながらも、少しずつ自分に自信を持てるように仕向けてあげたいところです。そんな思いから、
「小さなことでも自分でできたらうんと褒めてあげてくださいね。そうそう、ついさっき読んだ新聞の投稿欄にも、男の子はおだてて褒めてあげれば育つものだ、って書いてありましたよ。」
とお話しすると、そのお母さんは一瞬の沈黙ののち、目をパチクリ。
「それ、私です!」
「えっ?」
「投稿したのは私なんです!」
「えっ、え~?」
そういえば、その日の「ひととき」欄の最後にあったのは、千葉市の主婦の方のお名前。なんとそれは、そのとき面と向かってお話ししているお母さんその人なのでした。
こんなすごいことってあるのですね。直前に読んだコラムの投稿者の方がすぐ目の前にいらして、それとは知らず、偶然にも同じテーマについて話をしていたなんて・・・。そのお母さんと目を見合わせて本当にびっくりした次第。
公園だけでなく、小児科診察室の中にも、こうした素敵な出会いがときどきあります。同じく二人の男の子を育ててきた自分もまた、重ねてきた年輪を少しずつでも後輩ママたちに、分けてあげられるようになりたいと思います。
小児科医の仕事がますます好きになってしまうような、昼下がりのうれしいできごとでした。

2012年10月09日
ちゃんと見てるよ、大丈夫
これは、2012年10月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

小さなこどもは歩くことができるようになっても、なかなか、母親のそばを離れたがりません。ずっとくっついていないと不安なのです。だっこだっことせがむのも、しかたないことです。だっこされて全身を包み込まれてやっと、落ち着きます。これはしっかり抱きしめてあげるしかありません。
 それで少し安心するとまた、自分の足で歩きまわりますが、母親の姿が見えないと気づいたとたん、またまた心配になってしまいます。母の声、母のにおいを求めて、時には泣きながら、どこまでも母の姿を探しまわります。これはどの子も皆、似たり寄ったりでしょう。
そうやって子は、だんだんと母との距離を測りながら、ほんの短い時間でそれほど遠くでなければ、離れて一人で過ごすこともできるようなっていきます。さらに、母との距離を少しずつ伸ばしていって、ついには、まったく母の姿も見えず、母の声やにおいも届かないような離れた空間でも、子は落ち着いて一人で遊んでいられるようになります。それは、いつも見ていてくれる母のイメージを心の中に思い描くことができるようになって初めて、可能なのかもしれません。
こうして母と子とは、目には見えない糸でつながっていきます。その見えない絆をこども自身が実感し、守られていると感じられるようになるまで、丁寧にじっくりと時を重ねていきましょう。
いつもいつも、毎日毎日、そうやって母子密着の時間を重ねていくことは、発達心理学的には「母子間の愛着形成」ともいって、子の人生の初期における、じつはもっとも大切な作業なのです。人生の根っことも言えるこの最重要部分を、いいかげんにしたままで飛ばしてしまっては、その先、子が人格を形成していく過程のどこかでつまずいてしまうことにもなりかねません。
大人である母親にしてみれば、こんなにもじれったいようなことをしている時間があれば、あれもしたい、これもしたい、自分の時間がほしい、と思ってしまうのも当然かもしれません。
昔とは違って、いまは社会全体が豊かになって多様化し、家の中で小さい子と長い時間を過ごしていても、様々な情報や刺激がメディアを通して入ってきます。母としての気持ちを強く持っていないと、その誘惑に勝つのは容易ではないでしょう。日本全体がまだ貧乏でモノのなかった時代とは比較にならないくらいに、子育てが困難な時代になってきたと言わざるをえません。
けれども、子の成長は待ってくれません。子の発達に応じたそのときどきで、適切な母子関係が結べていないと、子の心は健全な発達をとげることができなくなります。
まだ小さな子は、母の無条件の愛をひたすらに求めてきます。何があってもちゃんと守ってもらえているのだということを子は身体全体で感じとろうとしますし、この守られているという実感こそが、子を健全に育てると言っても過言ではないでしょう。
大きくなって一人で遊ぶことができるようになるということは、子の心のど真ん中に、いつでも守ってくれる親の存在がきちんと残像のようにいつもあるからなのです。子の心の中に親としてしっかりと取り込まれることを、何をさしおいても親はまず、やっていかなくてはなりません。
一人で遊べるようになってもなお、親の自分への愛情を実際に確かめたくて、子から何度も繰り返される「ねえ、見て見て!」の声。身体は離れていてもいつでも自分を見ていてほしいのですね。
 ちゃんと見てるよ、大丈夫。
そのひと言で、子は守られていることを感じとり、また一人で心おだやかに、豊かな遊びの世界に舞い戻ることができるのです。

2012年11月06日
時にはママも自分をほめましょう
これは、2012年11月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

親は子を上手にほめて育てましょう、というのは、いま世の中で広く言われていることです。もちろん、それはとても大切なこと。自分はまわりの人たちに温かく受け入れられている、と小さい時から感じながら育っていくと、自分はそこに存在する価値のある人間なのだ、と確信できるようになります。そしてそのことはきっと、明るく希望に満ちたその子の将来を約束してくれるはずです。
この「自分は存在する価値がある」という自己肯定感。たとえば、幼少時に虐待を受けたりすると、この感覚が身につかず、長い人生における幾多の障害に立ち向かう勇気を持つことすら困難になります。
そして、母親が自分自身を大事に思うこともまた同様に、子の育ちに大きな影響を与えます。自分のことは後回しになろうとも、毎日いつも一生懸命になって子と向き合っている母親の気持ち。その母親自身が誇りを持って自分を大切にしていると、多くの時間を一緒に過ごす子までも、心の状態が安定してくるのです。なんといってもママの笑顔が一番。子にとっては欠かせない心の栄養です。
いつだって精一杯がんばっているのだから、ママも時には自分をほめてあげましょう。
ほぼ母親だけが子の世話をするのが当たり前、との認識がまだ強いこの国は、女性の地位が先進国中では最下位。子育てをどんなにがんばっても、当然のこととみなされます。そして誰もほめてなどくれません。この社会的通念が変わっていくには、この先もまだ長い時間がかかることでしょう。
ならば、自分の気持ちを変えましょう。自己認識を変えてしまいましょう。
変えられないものが変わるまで待つことはありません。変えられるものを変えていく勇気を持って、時代を先取りすればいいのです。
母親はエライ、すごい、ということをもっとアピールしてみませんか。
 昔、二人の息子たちがまだ小学生だった頃のこと。おしゃべりも上手になって、その日にあったことなどを家でいろいろ話すようになり、時には、お互いに競い合うように、ちょっとした自慢話などをしてくれることもありました。
もう具体的な内容は忘れてしまいましたが、それぞれの話を順番に聞きながら、「ふーん、すごいねえ」とか、「がんばったんだね、えらいね」などとほめて相づちを打ち、うれしい気持ちを分かち合いました。でも調子に乗ると、悪気はなくても「どう、すごいでしょう僕?」と、少しハナにつく感じがちょっと気になってしまうことも、時にはありました。あまり調子に乗りすぎないように釘をさすという意味合いもあって、そんな場合に母親として息子たちに返した言葉があります。
「ホント、すっご~~い!でもね、そんなスッバラシイ君たちを育てたのはこのママなんだから。どう?すごいでしょう?ママってエライでしょう!」
いまふうの言葉で言えば、どや顔。「エッヘン、どうだ!!」の世界です。このセリフを言うときの誇らしい気持ちったらありません。母親をやってきたからこそ味わえる、じつに痛快、最高の気分です。
だって息子たちは、ニヤニヤしながらも「もう脱帽、やっぱりママにはかなわない」という表情なのです。自分もすごいけど自分を育ててくれた母親ってもっとすごいんだ、と子どもたちが認めてくれる瞬間です。こんなに気持ち良くて嬉しいことはありません。
もちろん、本人たちをホメ殺しするくらいにほめちぎって共感して、充分に持ち上げておいてから言わなければ、このセリフは効果半減になってしまうので、注意が必要です。
子育てってこんなにも楽しくて愉快なことだったのだと、ふと思い出しました。はるか昔の話です。

2012年12月08日
チームワークがいいね
これは、2012年12月に岩田こどもクリニック待合室に掲示されたエッセイです。

今は亡き父の、最期となってしまった病床に、家族全員で見舞いに行ったことがありました。 
 息子たち二人が小さかった頃には、親の仕事の都合で泊まりに行かせてもらったり、夏休みに一緒に旅行をしたり、お正月にはお年玉をもらったりと、おじいちゃんにはたくさん可愛がってもらっていました。でも成長してからは、顔を合わせることもめっきり少なくなっていました。
そんな息子たちも一緒に病室を訪ねました。当時、長男は内科医として働き始めたばかり、次男はまだ大学生でした。久しぶりに会うおじいちゃんの弱々しくなった姿を目の当たりにして、それぞれに感じるものがあったのでしょう。
 長男はベッドの傍らに座り、自分が理解している範囲で、祖父の病状を本人にわかりやすく説明していました。おだやかな語り口で、祖父からの質問にもやさしく答えていたようでした。絶えずほほえみかけながら話をし、少しでも本人の不安を取り除こうと努めているかのようでした。
 長男の話が終わると、すぐに交代してベッドのそばに腰かけた次男は、ニコニコとした笑顔でおじいちゃんの目をのぞきこみながら、静かにいろいろな話をしていました。時折、おじいちゃんの目や口や鼻のまわりをティッシュペーパーでそっとやさしく、きれいに拭ってあげていました。
 ふだんは、そんなやさしい仕草を見せることなど、ほとんどなかったような息子たちが、おじいちゃんを元気づけようと一生懸命にふるまってくれているのが、はたで見ていてもよくわかりました。期せずして、彼らが内に秘めたやさしさに触れることができて、内心、とてもうれしく感じたことを覚えています。
そのときの短い時間の中で、彼らは自分にできる精一杯のことをおじいちゃんにしてあげようとしていたのですね。もちろん、娘婿である夫も娘自身も、なるべく父の気持ちに寄り添えるようサポートしました。
 そんな温かな交流がしばらく続いたあとで、思いもよらず、父が言ったひと言を今も忘れません。
「チームワークがいいね。」
 晩年には、一緒に過ごす家族も少なくなって、父は淋しかったかもしれません。ほんのひとときではあったけれど、久しぶりに家族のぬくもりらしきものを感じてくれていたのでしょうか。日常とかけ離れた状況の中で対面した娘の家族たちは皆、きっとふだんから仲良く協力しあっている、と受けとめてくれたのでしょう。それで、そんな言葉をかけてくれたのだろうと思います。もしかしたら、もう娘家族のことは心配しなくても大丈夫だと安心してくれたかもしれません。
 それから間もなくして、父はこの世を去りました。
 父が自分たち家族を前にして贈ってくれた、最後にもなるあの言葉は、深く心に残りました。これからもそうやって、みんなで仲良く、チームワーク良く、力を合わせて世の中を生きていくのだよ、との父からの遺言のようにも思えました。
 あれからもう10年近い歳月が流れました。忘れかけていたそんなできごとがふと、心に浮かんだ年の瀬です。

 これからますます寒くなりますので、皆さま体調を崩されませぬよう、どうぞお気をつけください。ご家族そろって健やかな新年を迎えられることを祈念いたします。





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開 院 : 1994年12月16日


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